ただただ無謀なツーリング

 

ここまでいろんなものを一度になくしたのは
後にも先にもこのときだけでした。

 

 

 

僕は小さいころから、
バイクのある環境で育ってきました。

 

父がバイク好きだったので、
アマチュアのレースの応援に行ったり
整備の手伝いによく借り出されていました。

 

 

 

そして、小学校の高学年にもなると、
運転させてもらえるようになりました。
もちろんまだ体も小さかったので
50ccや60ccの小さいバイクで、
公道外・父の監督下でのみでしたが。

 

それでも、エンジンのついた乗り物を
自分で操ることができるなんて
何だか大人になった気分でした。

 

 

 

小学校の卒業文集に載せる作文が
「将来の夢」というテーマだったので

 

「すごいマシンで日本を一周する」

 

という内容の作文を書きました。
「バイク」よりも「マシン」のほうが
何となくカッコいいと思ってました。笑

 

ついでに全行程の距離とか時速とか
かかる日数とか計算したりして。
(…変な子供ですね)

 

他のみんなは職業のこと書いてました。
地に足が着かないのは昔からだったみたいです。

 

 

 

そんな悠志少年、
高校を卒業して大学へ進学することになりました。

 

大学生活、初めての一人暮らし…
期待を胸に仙台へと旅立ってゆきました。

 

さらに普通免許も春のうちにとったので
原付のバイクになら乗れるようになりました。

 

 

 

当時乗っていたのが、ホンダのJazzという
50ccのアメリカンでした。

 

 

 

 

1980年代後半くらいのバイクですが、
今でもたまに街中で見かけます。

 

けっこうボロボロになってるものが多いので
「何とか生き残った」オーラがあります。
見かけるとつい応援したくなります。笑

 

 

 

大学に入って1年くらいJazzに乗ってました。
遠出すると燃費50km/Lくらいまで伸びます。
(何たってカブのエンジン積んでますから)

 

 

 

 

 

…しかし。
50ccは50ccです。

 

法定速度は30km/h。
平地では心地よく走れても
坂道で加速する力がない。

 

 

 

つまり、飽きてしまいました。
そして、大学2年の春。

 

「そうだ、もっと大きいの乗ろう」

 

中免(普通自動二輪車免許)をとって
バイクを買うことを決意したのでした。

 

 

 

そして買ったのが、Jazzの兄貴分である
ホンダ・REBEL(レブル)、
250ccのアメリカンでした。

 

 

 

 

アメリカンに乗りたいとは思わなくなりましたが、
乗るならやっぱりこういうスリムなのが好みです。

 

ちなみにこのレブル、実は2代目です。
当時のレブルの写真が見当たらないので。

 

このとき買った初代は
ある理由で手放すことになったんですが、
どうしてもレブルを忘れられなくて
同型・同デザインのものを買いました。

 

 

 

 

 

さてさて。

 

このバイクを買ったのが6月。
8月になるまでは大学の講義もあるので、
おとなしく仙台の街中で走っていました。

 

そして夏休み。
ぼさっとしているうちに9月も後半になってしまい
バイク買ったから遠出したいと言ってたわりに
特にどこへ行くこともなかったので、
あわててざっくりした旅程を組みました。

 

 

 

仙台を出発して

 

1日目 水戸

2日目 東京

3日目 名古屋

4日目 東京

5日目 宇都宮

6日目 仙台

 

というものです。

 

 

 

高校のときの友達や先輩、
Jazzで弾き語りツーリングして知り合った友達に
泊めてもらいながら旅することにしました。

 

 

 

旅が始まる1日目の朝。
仙台を出発して南下していきます。

 

国道4号線を白石~福島~郡山まで、
そこから49号線でいわきに抜けて
6号で海沿いを走って水戸まで、
というシンプルなルートでした。
何しろ地図を持っていなかったので。

 

映画「EASY RIDER」の影響なのか、
無謀・無計画に突っ込んでいくのが
カッコいいと当時は思ってました。笑

 

 

 

のんびりしてたわけじゃなかったんですが
水戸に着いたころには暗くなってました。

 

 

 

そして水戸駅で友達と落ち合ってしばし話し込んで、
さらに別の友達を迎えに勝田駅まで行きました。

 

そしてその日は夕食をごちそうになり、
ぐっすりと休むことができました。

 

 

 

 

 

そして明けて2日目の朝。
東京へ向けて出発しました。

 

1日目は迷って余計に走ったのか300km強ありましたが、
2日目は6号線で100kmちょっとくらい。
あっという間に都内に入ってしまいました。

 

 

 

ちょうど秋の交通安全週間だったのもあって、
都内に入るとパトカーが急に増えます。

 

パトカーに止められたクルマをやり過ごしながら
「あほだなー」なんて思ったのを覚えています。

 

 

 

ここまで主要な国道ばかり選んで走ってましたが、
さすがに都内はそうもいかないだろうと
休憩によったコンビニで地図を買いました。

 

バイクに腰掛けて地図を読んでいたら、
またもパトカーが通り過ぎていきました。

 

 

 

 

 

ところで。

 

これは20歳の夏の終わりのことで、
もう9年も前の話になります。

 

何でこんなに鮮明に覚えているかというと
この旅が僕の人生にとって
重大なできごとだったからです。

 

 

 

 

 

話は戻ります。

 

買った地図を頼りに、
しばらく6号線を行くことにして
コンビニを出発しました。

 

 

 

そして、ここです。

 

 

 

 

6号線はここで右に折れていきます。
僕もそれに合わせて曲がっていく予定でした。

 

しかし、すでにかなりの台数が
右折待ちの列をつくっていました。
そして、右折レーンに入らなきゃ、と気づいたのは
すでに右折待ちの列を抜かしてしまったあとでした。

 

しかし、ルールさえ無視してしまえば、
途中で車線を変更することくらい
バイクにとっては簡単なことだったので、
交差点内で右折の列に合流したのでした。

 

 

 

 

 

そこで。
運の悪いことに、と言うべきでしょうか。

 

 

 

右折した先にはパトカーや白バイが待機していて
僕の違反に気づくや否や、
すぐに後ろから追いかけてきました。

 

白バイが2台、パトカーが1台です。
「逃げる」という選択肢も浮かびました。
でも白バイにかなうはずがありません。
ほんの一瞬迷ったのち、すぐに停車しました。

 

 

 

 

 

そして、免許証を提示します。

 

このとき、平静を装いながらも
内心は神にもすがる思いでした。

 

 

 

 

 

 

 

警察官が、免許証とバイクを見比べます。

 

「…あれ?」

 

 

 

そして訊ねます。

 

「このバイク、この免許で乗れんの?」

 

 

 

 

 

絶望して僕は答えました。

 

 

 

「…乗れません。」

 

 

 

 

 

何故かと言うと。

 

普通免許しか持っていなかったからです。

 

 

 

 

 

どうしてこうなったのか。

 

「そうだ、もっと大きいの乗ろう!」
と思い立った春に戻ります。

 

 

 

大きいバイク乗りたい欲に動かされ、
教習所の料金やバイクについて調べます。

 

しかし、教習所に通ってさらにバイクを買うには
持っていたお金では足りませんでした。

 

 

 

選択肢はいくつかあります。

 

①お金をためてから教習所に通って、
免許がとれたらバイクを買う

 

②バイクを買うお金は残らなくてもいいので
まずは教習所へ通うためにお金を使う

 

③お金が貯まるまで待っていられないので、
免許センターでの一発試験で免許をとって
それからバイクを買う

 

 

 

排気量が違ってもやることは一緒だし、
一発試験は厳しいと聞くけれど
何回か繰り返していればそのうち受かるだろう、
と思って③を選択しました。

 

 

 

しかし、免許センターでの試験を
2回受けてみたあたりで
受験するのが面倒になってきました。

 

 

 

早く免許をとれるように、
モチベーションを上げるために、
先にバイクを買いました。

 

 

 

買って届いてしまったら最後です。
あったら乗ります。

 

だって、免許なくても乗れますから。
ルールさえ無視すれば、です。

 

 

 

 

 

 

 

話は戻って、
交通違反で止められたあと。

 

近くの交番で質問と荷物検査があり、
さらに大きな警察署に護送車で運ばれます。
(護送車、あとにも先にもこのときだけです笑)
「いかにも」な取調室でさらに質問されます。
常に5人くらい、警察官が僕を囲んでいます。

 

 

 

そして。

 

父へ連絡するよう要求されます。
それだけは避けたかったのですが、
この状況で拒否しようもありません。

 

おそるおそる父に電話します。

 

 

 

警察署から電話をかけていることを伝えると
さすがに動揺していましたが、
無免許でバイクに乗っていたこと自体には
特に驚いた様子はありませんでした。

 

 

 

どうやら知っていたようです。
言ったところで聞かないだろうから
泳がせておいた、とのこと。

 

 

 

 

 

その後、東京にいる高校の友達に
身元を引き受けに来てもらいました。

 

まともな判断ができる人間ならば
反省しておとなしくなっているべき局面ですが、

 

あろうことかその友達と
ボウリングに行きました。

 

スコアが出るシステムに登録した名前は
「ム メンキョ」でした。
悪ふざけにもほどがあります。

 

さらに、泊めてもらう予定だった
町田の友達、Yの家へ移動しました。
もちろんバイクはもう乗れません。
電車で行きました。

 

 

 

そこで僕はYに怒られます。

 

 

 

「高校のときのお前は、
やるべきことは嫌でもやっていたけど
今のお前はやるべきことを放棄して
ただ楽なほうに流れているだけ」

 

 

 

まさに、その通りでした。

 

僕は、前にもこうして友達に
怒られたことを思い出しました。

 

 

 

そして翌日。

 

予定では名古屋に向けて出発する朝でしたが、
こんな旅を続ける意味はもうありません。

 

JRを乗り継ぎ、仙台まで帰りました。

 

 

 

バイクは父の知り合いの家で
預かってもらうことになり
レッカーで届けられました。
東京から栃木で4万円しました。

 

 

 

さらに当時、髪が長かった僕は
町田のFの家で父に電話をしたときに
「その不愉快なワカメ頭を丸めろ」
とまで言われてしまいました。

 

仙台に帰ったあと、
大学生協の理髪店に行きました。
1500円で丸刈りにしてもらい
ボウズ頭を撮影して父に送りました。

 

 

 

無免許運転をすると、
免許は一発で取り消しです。

 

裁判所に出頭を求められて行ったときに、
初犯は15万円の罰金だと聞かされました。

 

 

 

いろいろなものがなくなっていきます。

 

そもそもの始まりはというと、
「免許取りに行くの面倒」という理由です。

 

 

 

あまりにもくだらない。

 

 

 

 

 

「誰にも迷惑をかけなければ法を犯してもOK」
とさえ、それまでの僕は思っていました。

 

もちろんバイクで旅するだけなら
誰に迷惑をかけるでもありません。

 

 

 

でも、それが法を犯したものであるとなると。

 

バイクを預けられた父の知り合い、
突然僕の身元引受人となった友達、
適当な僕に呆れきっていた町田のF、
そしてもちろん父もです。

 

僕の無謀がたくさんの迷惑をかけてしまいました。

 

 

 

 

 

これだけの経験をしてしまったので、
それ以来は法に触れることはしなくなりました。

 

 

 

しかし。

 

ルールを守って生きているからって
幸せでいられるわけでもないと、
ずっと心のどこかで思っていました。

 

 

 

エピソード5『22歳の恋、そして廃人へ』へ

 

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プロフィール



羽村悠志

北海道に帰ってきた
超インドア派の29歳。
地元は帯広、今は札幌。

SRV250Sに乗っています。
好物は音楽とマンガです。

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