超インドア派、羽村悠志こと私

 

転職なんかで自分を見つめなおす機会があると
友達に「僕ってどんな奴?」と聞いてみるんですが

 

返ってくるのは変だとか不思議だとか独特だとか、
まあどれも「変な奴」ってことみたいです。

 

「説明のしようがない」「予想外の反応をする」
極めつけは「クレアラシルのCMに出てそう」…?
そんなもの、とても履歴書には書けません。笑

 

 

 

…というわけで、誰もあてにならないので
自分で振り返ってみることにします。笑

 

 

 

よその家のふすまに「クロレラ」

 

北海道の十勝・帯広市で、
羽村家の長男として生まれました。

 

幼少期はジュウレンジャーが好きでした。
その次はジェットマンです。

 

 

近所の猫をスコップで叩いたり、
女の子の耳に噛みついたり、
よその家のふすまに「クロレラ」と
書いたりする活発な子供でした。笑

 

母親の自転車の前に乗せられたとき
かわいい女の子には笑顔で手を振って
そうでなければ無表情だったそうです。
わかりやすくて好感が持てます。

 

 

 

すごいマシンで日本一周

 

帯広といえばスピードスケート王国、
小学生になると僕もスケート少年団に入りました。

 

初めての大会の前の日には
「明日、優勝したらどうしよう」
なんて興奮しながら言ったそうです。
今ではその発想がうらやましいです。笑

 

優勝することは一度もありませんでしたが、
スケート少年団っていうだけで
クラスの中だと断トツで速かったので、
冬はスケートの授業が楽しみでした。

 

みんなと仲良くしていた気もしますが、
このころから個人プレイが目立ってきます。

 

 

 

小学校の卒業文集で書いた将来の夢は
「すごいマシンで日本一周」でした。

 

 

 

往復160kmの自転車ツーリング

 

中学生になって行動範囲も広がってくると
友達と自転車旅行するようになりました。

 

最初のうちは帯広動物園、池田のワイン城、
そして忠類のナウマン温泉など
行った先で何するかを楽しみにしていたんですが、

 

だんだん遠くまで行くのがカッコよく思えてきて
最終的には、何の変哲もない田舎の公園まで
往復160kmかけて行くようになりました。

 

 

 

 

ちなみに、中学校の卒業文集になると
「無人島に一人でも生きていけそうな人」の
No.1に選ばれていました。笑

 

 

 

初対面で泊めてもらうツーリング

 

高校卒業後、北海道・帯広を離れて
仙台で迎えた2回目の春、大学2年生のころ、
僕はJazzという原付アメリカンに乗っていました。

 

4月に入ったばかりでまだ寒い時期でしたが
僕はふと思い立ちました。

 

「そうだ、旅に出よう」と。

 

 

 

バンドや弾き語りで歌うのが好きだった僕は、
ギターと小さなアンプを持って出かけました。
目的地は、福島県の郡山と茨城県の水戸です。

 

 

 

出発の日、朝のうちに出る予定だったのが
起きたら5時でもうすでに暗くなっていたので
急いで支度をして出発しました。

 

が、しばらく走ってもそれ以上は暗くならない、
7時でもまだ明るい、おかしいな…

 

…と思ったら「朝の7時」だったことに
けっこう走ったあと気づいた以外、
道中は順調そのものでした。笑

 

原付ツーリングでも早朝に出発したおかげで
郡山には明るいうちに着きました。

 

 

 

そして、郡山の駅前で路上ライブをしました。
もの珍しいのか思ったよりも足を止めてくれて、
聴いてくれた何人かと話したりしました。

 

その日は駅前のサウナの休憩室で休んで、
翌朝いわき経由で水戸へ向かいました。

 

 

 

水戸では駅ビルのギャルブランドの前で
声を張り上げて歌いました。

 

 

 

 

ギターとアンプ持って知らないところで歌う、
それだけに留まることを知らず、

 

何と、そこで聴いてくれていた人に
泊めてもらえるか交渉をしたのでした。

 

 

 

今となってはそんな度胸はありませんが、
当時は「無謀」が僕のブームでした。

 

世間知らずの変な奴と思われながらも
どうやら相手も無謀だったようで、
泊めてもらうことができました。笑

 

 

 

新卒カード破棄、派遣生活へ

 

僕は大学時代、本当にダメ学生でした。
2日に1回くらいしか行かなかったので、
単位をとるにも進級するにも
友達の力を借りまくっていました。

 

それでも大学生活は楽しいものでした。
高校時代は友達がいなかったので
それに比べたら天国でした。

 

ただ友達と昼食を食べただけで
午後になったら帰ってくることも。笑

 

 

 

しかし、そんな生活も終わりがやってきます。
3年生の後半ともなってくると、
みんな就職活動に目の色が変わります。

 

しかし僕は、社会の歯車として
磨耗していくのが嫌だったのと
もっと遊んでいたかったのとで、
一切の就職活動をしませんでした。

 

友達に「羽村、卒業したらどうすんの」
と聞かれたときには

 

「自由を体現する生活がしたい」
なんて言っていました。

 

 

 

そしてやはり友達の力を借りて、
何とか卒業することができました。

 

僕はもはや大学生ではなく
ただの無職になりました。

 

 

 

しかし、さすがに生活していくために
その春の4月に派遣会社に駆け込んで
コールセンターで仕事を始めました。

 

そこから、4年にも渡る派遣生活が、
何となくスタートしたのでした。

 

 

 

初めての海外旅行、インドへ

 

何となく飛び込んでしまった
コールセンター派遣生活の中で、
有給休暇をとって初めての海外旅行に出ました。
目的地はインドです。

 

 

 

そう。

 

あの、自分を探している人たちが
こぞって行きたがるという、
あのインドです。笑

 

 

 

ガンジス川のほとりの聖地バラナシへ
10泊11日、旅程を決めず向かいました。

 

楽しみにして行ったはずなんですが、
2日目にはもう帰りたくなってました。笑

 

 

 

3輪タクシーに乗って目的地を伝えたら
運転手が道を知らなくて遠回りしたので
「余計に走った分のガソリン代追加ね」
なんて言ってぼったくられたり、

 

 

街を散歩していたら男が勝手についてきたので
しばらく歩きながら雑談していたんですが
その男が急に「靴屋に行こう」と言うので
ついて行ったところ、
「ここまでのガイド料、これ買ってくれ」
とガイド料として靴を請求されたり、

 

 

ニューデリー駅で事務室のドアを開けようとしたら
そのドアからちょうど男が出てきて
「この窓口もう閉まってるから他を案内してやる」
と言われたので駅員かと思ってついて行ってしまい
駅前にずらっと並んだ店の一つに連れて行かれ、

 

「政府公認の旅行代理店だから心配ない」
「彼女はいるのか?何人?なんでいない?」
「疲れただろ、ほらチャイ飲みな」
とあれこれ聞かれているうちに
バラナシへの列車の「キャンセル待ち券」、
(あとで運賃を払わなければ乗れない)で
クレジットカードの請求をひと桁ごまかされたり、

 

 

バラナシで滞在していたゲストハウスで
宿つきのガイドの男から夜の誘いを受けたり…

 

 

インド人のアグレッシブさに感動しながらも
疲れてガンジス川を眺めて過ごしました。笑

 

 

 

 

インドは「また行きたい!」って人と
「もう行きたくない」に分かれるようですが、
僕は…今のところ二度と行きたくありません。笑

 

海外旅行に慣れている人でも
インドにはちょっと抵抗がある…
っていうのも納得しました。

 

 

 

超インドア派でもないかもしれない

 

書いていて思ったんですが、
意外にアクティブでしたね。笑

 

旅の話ばかり選んだせいかもしれません。
次から楽しくないものも書いていきます。

 

 

 

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プロフィール



羽村悠志

北海道に帰ってきた
超インドア派の29歳。
地元は帯広、今は札幌。

SRV250Sに乗っています。
好物は音楽とマンガです。

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